Manny's Music - ニューヨークの音楽史を支えた伝説の楽器店(1)
開店から閉店まで――74年間の歴史
ニューヨークのマンハッタンに存在した Manny’s Music(マニーズ・ミュージック) は、単に楽器を販売する店ではなかった。20世紀のアメリカのポピュラー音楽、とりわけロック、ジャズ、ブルースの歴史を、楽器の販売という側面から支えてきた存在である。
世界中からミュージシャンが集まったニューヨークで、Manny’sはギター、アンプ、ドラム、キーボードなどを扱い、プロの演奏家からアマチュアまで幅広い顧客を迎えていた。店を訪れた著名なミュージシャンの写真やサインが店内を飾り、楽器を買う場所であると同時に、音楽業界の人々が出会い、情報を交換する場所にもなっていた。
その歴史を理解するうえで重要なのは、Manny’sを単なる老舗小売店として見るのではなく、楽器メーカー、プロの演奏家、ツアー・ミュージシャン、ニューヨークの音楽文化を結びつけた拠点として捉えることだ。
以下では、開店から閉店までの経緯、取り扱い製品、経営環境の変化、事業継承、店舗で起きた出来事、そして訪れた著名ミュージシャンにまつわるエピソードを、確認できる歴史的事実と伝承を区別しながら詳しく解説する。
なお、著名人に関する逸話は、写真などで来店を確認できることと、本人が実際にその店で楽器を購入したこと、店員と個人的な交流があったことを、それぞれ区別する必要がある。伝説的な店であるだけに、後年の回想や出典の不明確な話も混在しているためだ。
1. 開店から閉店まで――74年間の歴史
1-1. 1935年:マンハッタンの小さな楽器店として出発
Manny’s Musicは、1935年、マンハッタンのウエスト48丁目に、Manny Goldrich(マニー・ゴールドリッチ)が開いた楽器店である。
Goldrichはもともとサックスの販売に携わっていた人物で、楽器販売の経験を生かして自らの店を創業した。
最初の店舗は、ニューヨークの楽器店が集まっていた地区にある、約20フィート四方の小さな店だった。場所は120 West 48th Street。後に世界中のミュージシャンに知られることになる店舗の出発点である。創業から数年で急成長したわけではなく、商売を拡大するにつれて、少しずつ店舗の規模を広げていった。
当時の48丁目は、楽器店が集積する商業地区だった。後に「Music Row(ミュージック・ロウ)」と呼ばれるようになるこの一帯では、ギター、アンプ、管楽器、鍵盤楽器など、さまざまな楽器や音響機材が販売されていた。
Manny’sは、こうした楽器店街の一店舗として営業を始めたのである。
ところが、この立地は後に大きな意味を持つことになる。
ニューヨークは、ブロードウェイの劇場、ジャズクラブ、録音スタジオ、放送局、レコード会社などが集まる都市だった。地方からニューヨークに出てきたミュージシャンも、ツアーで訪れた演奏家も、必要な楽器や機材を現地で調達する必要がある。
Manny’sは、こうした需要を取り込める場所にあった。
出典:Manny’s Musicの歴史 (新しいタブで開く)、NAMMによるHenry Goldrichのオーラルヒストリー (新しいタブで開く)。
1-2. 1940~1950年代:家族経営の楽器店から大型店舗へ
創業者Manny Goldrichは、息子のHenry Goldrich(Henry Goldrich)とともに店を成長させていった。
Henryは1932年生まれで、父親の事業を引き継いだ後、Manny’sの知名度を高めるうえで重要な役割を果たすことになる。
Manny’sの成長は、単に売り場を広げただけではない。取り扱う楽器の種類を拡充し、新しい製品や技術を積極的に導入することで、プロの演奏家が必要とする機材を幅広くそろえるようになった。
創業当初は小さな店舗だったが、1950年代半ばまでには、建物全体を使うほどに拡張していたとされる。
ここで重要なのは、Manny’sが単なるギター専門店ではなかったことだ。
後年、Manny’sはエレキギターの名店として有名になるが、実際には鍵盤楽器、ドラム、パーカッションなども重要な取扱分野だった。後述するように、Henryは新しい楽器や技術の導入にも積極的で、店舗を総合的な楽器販売拠点へと発展させていった。
また、家族経営だったことも特徴の一つである。
創業者から息子へ、さらに孫の世代へと経営が引き継がれ、Goldrich家と店舗の結びつきは長く維持された。
この家族経営の伝統は、Manny’sが単なる販売チェーンとは異なる個性を持つ理由の一つだった。
出典:NAMM:Henry Goldrich (新しいタブで開く)、Manny’s Musicの歴史 (新しいタブで開く)。
1-3. 1960年代:世界的なミュージシャンが訪れる店へ
Manny’sが国際的な知名度を獲得したのは、1960年代だった。
この時期、アメリカではエレキギターを中心とするロック音楽が急速に拡大していた。1964年以降のブリティッシュ・インヴェイジョンも、アメリカの楽器市場に大きな影響を与えた。
The Beatles、ローリング・ストーンズをはじめとするイギリスのアーティストがアメリカで人気を獲得し、若い世代がエレキギターやドラムに関心を持つようになる。
Manny’sにとって、この変化は大きな追い風となった。
ニューヨークを訪れる海外アーティストにとって、Manny’sは新しい楽器を購入したり、珍しい機材を探したりする場所だった。アメリカの楽器店では、ヨーロッパでは入手しにくい製品や、幅広いメーカーの製品を比較できたことも魅力だったとされる。
もちろん、来店者は有名人だけではない。
プロを目指す若いギタリスト、地元のバンド、ジャズ・ミュージシャン、スタジオ・プレイヤーなど、さまざまな人々が店を訪れた。
Manny’sの特色は、著名人専用の店ではなく、一般の顧客も同じ売り場で楽器を選べたことにある。
後に店内の壁を埋め尽くすことになるサイン入り写真は、こうした著名人と店舗との結びつきを象徴するものとなった。
1973年の音楽誌『CREEM』の記事は、Manny’sを世界的に有名な楽器店として紹介し、当時の店内には楽器、アンプ、従業員、顧客、著名なミュージシャンが入り交じっていたと描写している。同記事は、年間約500万ドル相当の楽器が取引されていたとも報じている。
これは1973年当時の数字であり、現代の売上高と直接比較することはできない。しかし、Manny’sが単なる地域密着型の小売店を超えた規模に成長していたことを示す資料である。
出典:CREEM「The Beat Goes On」(1973年) (新しいタブで開く)、Manny’s Musicの歴史 (新しいタブで開く)。
1-4. 1965~1969年:現在よく知られる店舗への移転
Manny’sの歴史における重要な転換点が、店舗の移転である。
1965年、ロックフェラー・センター側からの不動産取得の動きに関連して、Manny’sは新しい建物への移転を進めることになった。
新店舗の住所は、156 West 48th Street。
この住所こそ、Manny’sの歴史を語る際に最もよく登場する場所である。
移転は1969年に行われた。ただし、創業者のManny Goldrichは1968年に亡くなっており、自らが長年育てた店舗の新しい姿を直接見ることはできなかった。
創業者の死後は、息子のHenryと娘のHelen Burgauerが事業を引き継いだ。
この時期のManny’sは、単に店舗面積が拡大しただけではなく、著名なミュージシャンが訪れる場所として、ますます存在感を強めていく。
そして1969年、Manny’sの歴史を象徴する出来事が起きる。
Jimi Hendrixが来店し、複数の楽器や機材を購入したのである。
このエピソードについては、後の「著名ミュージシャンの逸話」で詳しく取り上げる。
出典:Manny’s Musicの歴史 (新しいタブで開く)、Jimi Hendrix公式サイト (新しいタブで開く)。
1-5. 1970~1980年代:楽器販売と音楽文化の交差点
1970年代から1980年代にかけて、Manny’sは世界各地のミュージシャンに知られる存在となった。
この時期には、ハードロック、プログレッシブ・ロック、パンク、フュージョン、シンセサイザーを活用したポップミュージックなど、さまざまな音楽ジャンルが発展していた。
それに伴い、ミュージシャンが必要とする機材も多様化していった。
ギタリストはギター本体だけでなく、アンプ、エフェクター、録音機器を必要とする。キーボーディストは電子ピアノやシンセサイザーを探し、ドラマーは新しいドラムセットやパーカッションを求める。
Manny’sはこうした需要に対応し、製品ラインを拡充していった。
また、店舗内では著名な演奏家によるクリニックも開催されていた。クリニックとは、演奏家が実際に楽器を演奏しながら、技術や機材の使い方を紹介するイベントである。
Henry Goldrichのインタビューを収録したNAMMの資料には、バディ・リッチやPaul Simonによる店内クリニックが紹介されている。
これはManny’sが単なる販売の場ではなく、演奏家と顧客が音楽や機材について学び、交流する場所でもあったことを示している。
出典:NAMM:Henry Goldrichのオーラルヒストリー (新しいタブで開く)。
1-6. 1990年代:創業家の第三世代と経営上の転機
1990年代に入ると、Manny’sの経営は次の世代へと移っていく。
Manny Goldrichの孫にあたるIan GoldrichとJudd Goldrichが、店舗の経営に携わるようになった。
しかし、長年にわたって続いてきた家族経営にも、次第に変化が訪れる。
後年の関係者インタビューでは、家族経営上の課題や事業の拡大に伴う負担が語られている。
Ian Goldrichは、父親のHenryが経営の第一線から退いていく一方で、自分たちの世代が新しい事業に取り組んでいたことを振り返っている。
録音関連事業への投資、ブラジルでの事業、カタログ通販など、店舗外へと活動を広げる動きもあった。
特に通販の拡大は、顧客と販売店の関係を変える要素となった。顧客が店舗の売り場で商品を探すだけでなく、カタログを通じて注文するようになれば、店頭で接客する従業員の役割や、売上の構造も変わってくる。
当時はまだ、今日のようなインターネット通販が一般化していたわけではない。それでも、楽器を販売するビジネスの形態は、少しずつ変化していたのである。
出典:CultureSonar「Rockeology: A Tale of Two Music Shops」 (新しいタブで開く)、NAMM:Ian Goldrich (新しいタブで開く)。
1-7. 1999年:Sam Ashへの売却
1999年、Goldrich家はManny’sを、競合する楽器販売チェーンのSam Ash Musicに売却した。
Sam Ashはニューヨークを起点に発展した楽器販売企業で、Manny’sと同じ48丁目のMusic Rowにも店舗を構えていた。
つまり、Manny’sは遠方の企業に売却されたのではなく、同じ楽器店街で競争してきたライバルの傘下に入ったのである。
ただし、買収後すぐにManny’sの名前が消えたわけではない。
Sam AshはManny’sを独立したブランドとして存続させ、従来の店舗運営やスタッフ、Goldrich家との関係も維持した。
Ian Goldrichも、売却後しばらくはManny’sの運営を続けていた。
この買収については、Sam Ash側が、Manny’sは経営上の困難を抱えていたものの、音楽業界にとって重要な存在であり、存続させる価値があると考えていたことが、当時の報道で伝えられている。
しかし、ブランドを維持することと、独立した店舗として採算を確保し続けることは別問題だった。
この違いが、10年後の閉店につながっていく。
出典:Premier Guitar(2009年) (新しいタブで開く)、NAMM:Ian Goldrich (新しいタブで開く)。
1-8. 2009年5月:74年間の実店舗営業が終了
2009年5月、Manny’s Musicは閉店した。
閉店日は2009年5月31日と記録されている。1935年の創業から74年間続いた、マンハッタンの伝説的な楽器店の実店舗営業が終わったのである。
閉店のニュースは、楽器業界だけでなく、ミュージシャンや音楽ファンにも大きな衝撃を与えた。
閉店にあたって問題となったのが、店内の壁を埋め尽くしていた著名人の写真だった。
Manny’sの壁には、ミュージシャンのサイン入り写真が数多く飾られていた。そこには単なる宣伝用の写真だけでなく、MannyやHenryに宛てた個人的なメッセージが書き込まれたものもあった。
そのため、写真は店舗の装飾品というだけでなく、長年にわたる交流の記録でもあった。
閉店時には、Sam Ashと創業家の間で写真の取り扱いが問題となった。写真をデジタル化して保存しようという動きも生まれた。
2009年の閉店は、ひとつの楽器店が営業を終えたというだけではない。ニューヨークの音楽産業を象徴していた48丁目のMusic Rowが衰退していく過程を象徴する出来事でもあった。
出典:The New Yorker「The Wall」(2009年) (新しいタブで開く)、Premier Guitar (新しいタブで開く)、Music Inc.(2009年) (新しいタブで開く)。